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海外旅行紀行・戯言日記

海外旅行紀行・戯言日記

如意輪観音

和辻哲郎氏が1918年発行の「古寺巡礼」の中で中宮寺の如意輪観音のことを美しく描写しています。

あの肌の黒いつやは実に不思議である。この像が木でありながら銅と同じような強い感じを持っているのはあのつやのせいだと思われる。又このつやが、微妙な肉付け、微細な面の凹凸を実に鋭敏に生かしている。その為に顔の表情なども細やかに柔らかに現れてくる。あの頬の優しい美しさも、その頬に指先をつけた手のふるいつきたい様な形の良さも、腕から肩への清らかな柔ら味も、あのつやを除いては考えられない。
私たちはただうっとりとして眺めた。心の奥でしめやかに静かにとめども無く涙が流れると言う様な気持ちであった。ここには慈愛と悲哀との杯がなみなみとと充たされている。まことに至純な美しさで、又美しいとのみでは言い尽くせない神聖な美しさである。

この像は本来観音像であるのか弥勒像であるのか知らないが、その与える印象はいかにも聖女と呼ぶのがふさわしい。しかし、この聖女は、およそ人間の、或いは神の「母」では無い。あの初々しさは、女らしい形でなければ現せない優しさがある。では何であるのか。-慈悲の権化である。人間の心奥の慈悲の願望が、その求むる所を人体の形に結晶せしめたものである。
私の乏しい見聞によると、およそ愛の表現としてこの像は世界の芸術の内に比類のない独特なものでは無いかと思われる。これより力強いもの、威厳のあるもの、深いもの、或いはこれより烈しい陶酔を現すもの、情熱を現すもの、-それは世界に稀ではあるまい。しかしこの純粋な愛と悲しみとの象徴は、その曇りのない純一性の故に、その徹底した柔らかさの故に、おそらく唯一のものと言って良いのではなかろうか。


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